都島友の会 創設者 比嘉正子ーその生涯を言行録とその背景から探るー

「第一部」 その人の人生は出会う恩師によってきまる

大阪、女子神学校時代

1923年 大阪十三今里バプテスト女子神学校
(太平洋戦争中廃校、現在のミード社会館)に入学。18歳
◆校長 ミス・ミード
(一生涯を日本の女子教育とキリストの伝道に捧げた)の影響
バプテスト女子神学校3年生の言葉
「社会的な不平等と貧困がある限り、人間は救われない」と煩悶する。
1925年3月 大阪十三今里にあったバプテスト女子神学校修了
女子神学校時代の正子の写真
2列目左から3人目
比嘉正子
(旧姓渡嘉敷周子)

「『パブテスト女子神学校』(現在のミード社会館)は、文化的ですがすがしく、清楚な感じのする学校であった。私はミッションの経費でまかなわれる留学生として、寄宿舎で三年間生活した。バイブルを勉強の基礎とし、講義や実習はきびしかったが、校長、教頭をはじめ多くの教授たちは極めてヒューマンで、日常生活の中に自由と笑いとユーモアがあふれていた。男子のバイブルクラスもあり、交際も自由、コーラスやテニスも出来て、私の性格にはうってつけの楽しい学園であった。私の人間形成は、この時期に、この環境でなされたと思う。」



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