都島友の会 創設者 比嘉正子ーその生涯を言行録とその背景から探るー

「第二部」 戦後の比嘉正子 ―社会福祉事業と消費者運動を両輪として―

戦後の比嘉正子

1945年 米よこせ風呂敷デモ大阪府鴻池主婦の会結成
1946年 物価値下げ運動を行う。
横行するヤミ値切り崩しの努力し、梅田で街頭販売をし、生活防衛を図る。
1947年 主婦の会結成
下駄履きスタイルでヤミ値撲滅を訴える比嘉正子

勝つと信じていた戦いに敗れ、3人いた子どもの2人まで亡くしてしまった。 何という愚かな、罪深い母親だろう。・・後から後から後悔がわいてくる。 もう再び仕事はすまいと懺悔の日々を送った。 ・・・ところが戦後の社会状況は逃避を許さなかったのである。

「生活の苦労をしているわてらが立ち上がらなければ、食糧危機を突破できない」と、おカミさんが「米よこせ」の旗を掲げて行動した。・・・金もない、食もない、紙も電話も着るものも〝ないない〟づくしの20年10月に鴻池新田西村(現東大阪市鴻池町)の農村に疎開して、生活が追い詰められたおカミさん達の、すり減った下駄とすりきれたワンピース姿で物資のありかをかぎつけては、分捕り作戦的行動も会員の喜ぶ笑顔で支えられてきた。
一人の力では弱くものも言えない。実行もできない。〝米よこせ〟で団結の力を、身をもって体験した主婦たちの結論は〝生活危機突破のために会を組織しよう〟ということであった。・・・毎日の動員、戦い終わって帰る交通費もなく難波から梅田までテクテク歩きながら「婦人運動ってこんなに辛いものなのか、誰か代わってくれないだろうか」と、つぶやいた。・・・資料を得る役所もなく、企画する知恵もなく、暗中模索、やみくもに情熱だけが武器であった。



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