志賀 志那人 1892-1938 |
1892年 |
誕生 |
1921年 |
大阪市立市民館長 |
1916年 |
東京帝国大学卒業 |
1935年 |
大阪市社会部長 |
1919年 |
大阪市労働調査事務嘱託 |
1938年 |
死去 |
1920年 |
大阪市主事 |
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志賀志那人の保育組合の考え方
志賀が市民館の事業の中でも最も熱心に行い、保育の歴史に残るほど異色であったのは、保育組合の運動でした。
志賀が保育に情熱を傾けたのは、一口にいって「保育こそ救貧の根幹」と考えていたからです。
北市民館保育組合の特徴は、1.家族における子育ての私事化を乗りこえようとする問題認識を基盤にした点、2.国家や経済システムの官僚性原理を制御し変革する意識を、協同組合の組織により準備した点、3.親たちによる自由な集団の形成において、相互的な人的結合の可能性を追求した点、の3点であげることができます。