渡久地歌子理事長

ごあいさつ


 渡保育園のホームページにご訪問いただき、ありがとうございます。
 当保育園は、私ども社会福祉法人都島友の会の創設者、比嘉正子により設立されました。
 比嘉正子は1905年に沖縄県首里で生まれ、17歳の時、首里パプテスト教会において洗礼を受け、その後、大阪パプテスト女子神学校(現ミード社会館)に留学、1931年(昭和6年)には都島友の会の前身、青空保育園を設立、以降、彼女は無一文から始めた保育事業を皮切りに、自らの人生を社会福祉事業に一身を捧げることになります。
 戦前、戦中、戦後を社会福祉事業家として、日本の消費者運動や婦人運動のリーダーとして、波乱万丈に駆け抜けた彼女の心には、故郷沖縄に自らの福祉事業の種子を蒔き、豊かな実りをもたらせたいとの想いが脈々と生き続けておりました。やがて沖縄の日本復帰を機に、1974年(昭和49年)に「渡保育園」、1982年(昭和57年)に那覇市松島に「松島保育園」を創設したことで比嘉の想いはようやく実を結び、彼女の保育理念は今日、故郷の地にもしっかりと受け継がれることになりました。
 我が国は現在、豊かな社会になったとはいえ、子どもの貧困、家庭内の虐待、ひきこもりやニートといった子どもをめぐる様々な問題、あるいは高齢者の孤立死、自殺、DV被害など、少子高齢化社会の只中で、既存の社会保障や社会福祉、教育制度では対応しきれない数多くの難題が立ち塞がっております。
 かつて私の尊敬する故小川居先生は、「荒野をコツコツと耕し、砂地をたゆまなく肥し、一粒一粒心をこめて丁寧に蒔いた種が、神様の祝福を受けて生き生きと芽をふき、多くの枝葉を伸ばし、木々となる。やがて荒れ地から泉が湧き、河となり、鳥がさえずり、人の憩う豊かな場へと変わった。」との古代イスラエルの予言者イザヤの言葉を引かれ、「都島友の会の創設者が大阪や沖縄に蒔いた福祉の種は、先輩職員、ボランティアの方々、さらには地域の人々のお力を借りて大きな木々となり、実りをつけるまで成長することが出来ました。あなた達はその豊かな実りを携えて、更なる荒野へと前進せねばなりません。その進んでいく様を、創設者をはじめ多くの先達者が今もきちんと見守って下さっています。」との大切なお言葉を頂戴いたしました。
 私どもは創設者比嘉正子の蒔いた福祉の種子を大切に育み、「社会のすべての活動の終着点が人類福祉にあると思う。」との生前比嘉正子が語った福祉の理想に向かってさらに研鑽し、次代へとつないでいく覚悟です。どうか今後とも倍旧のご支援御協力を賜りますようよろしくお願い申し上げます。

社会福祉法人都島友の会 理事長 渡久地 歌子

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