都島友の会 創設者 比嘉正子ーその生涯を言行録とその背景から探るー
「第一部」 その人の人生は出会う恩師によってきまる
青空幼稚園開設
1931年3月 8月 |
青空幼稚園開始 志賀志那人先生の一言から「北都学園」設立 |
1932年 | 北都学園の名称を私立都島幼稚園と改称、園長に就任 |
1934年3月 | 私立都島幼稚園 認可 (法的には幼稚園であったが実際の内容は今日の保育所システム) |

幼稚園のもつ教育的要素と託児所のもつ
保護的要素の両方を兼ねた保育所の設立が必要であると判断した。
子どもを3人育てるのも、20人育てるのもいっしょだよ。公園の木陰、太陽の下、立派な園舎である。木の葉っぱや石ころ、虫けら、草花みんな自然が与えてくださった子供たちへの贈り物である。滑り台やブランコだけが遊び道具じゃない。それがなければ幼稚園が出来ないと思うな。
・・・北都学園の名称は北斗七星の「北」と都島区の「都」を取ってつけた名称で、大学まで発展させるような立派なイメージを与えたようであった。しかし、実際には園舎も幼児数も増えたが、人格のない、幼稚園でもない、悪く言えば「もぐり幼稚園」であった。行政もなんら干渉もしなかった。 幼稚園は特権、富裕階層の幼児の入るところ、託児所は貧困家庭の子を無料で預かるところと、一般に思われ、包含する精神を知るすべもない世相であった。従って託児所は公立により、私立は財力背景のあるキリスト教団とか、仏教団、婦人会によって設立された。 幼児教育の必要性も大衆的になるにおよんで、幼稚園のもつ教育的要素と、託児所のもつ保護的要素の両方を兼ねた保育所設立が必要であると判断した。
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