都島友の会 創設者 比嘉正子ーその生涯を言行録とその背景から探るー
「第二部」 戦後の比嘉正子 ―社会福祉事業と消費者運動を両輪として―
社会福祉事業の再出発
1949年 | 都島児童館設立 |

死んだ子の墓を建てるより生き残った人たちへの
愛に使うべきと決意して建設準備にかかった。
それが都島児童館である。
・・・都島の焼け跡地には、お腹をすかしてうろうろしている子どもがいる。・・・拾い食いをしている子どもたちの姿、疲れ切った母親の姿、小学生が小さい子を背負って学校へ行く姿、教室では妹や弟がうろうろしている姿を目のあたりにしてしまうと、わが子の墓を建立するために蓄えてあった15万円、死んだ子の墓を建てるより生き残った人たちへの愛に使うべきと決意して建設準備にかかった。それが都島児童館である。その頃は、まだ日本国憲法はない、児童福祉法もない。都島児童館へ行けば何か食べられる。妹・弟を学校へ連れて行かなくても児童館で預かってくれる。・・・習字、そろばん、絵、何か教えてもらえる。子どもたちにとっては楽園だったであろう。
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