(時:平成25年1月8日 場所:都島友渕保育園)
明けましておめでとうございます。
皆様方には良き新年をお迎えになられたことと心からお慶び申し上げます。
昨年は友渕保育園の増改築、都島児童センターの建て替え工事と、皆様には大変ご苦労をおかけしました。
友渕保育園は一部手直し改修を残しているものの、こうして無事仮設から戻ってくることができました。一方、都島児童センターは建設工事が大幅に遅れているため、予定していた本年3月完成が8月中旬にずれ込みそうです。昨年同様、本年も皆様には様々にご苦労願うことになりそうですが、どうかよろしくお願いいたします。
さて私ごとで恐縮ですが、年末に、宇奈月、五箇山、そして高岡と北陸の富山の方へ行ってまいりました。
宇奈月は、黒部峡谷にほど近い温泉地です。昭和天皇や与謝野鉄幹・晶子も訪れた名湯で私も1年の疲れを洗い落とし、すっかりリフレッシュすることができました。翌日はバスで五箇山の地を訪れました。五箇山は世界遺産の管沼合掌造り集落のあるところです。岐阜の白川郷に較べるとこじんまりとした幾分地味な感じがいたしましたが、その分集落を歩いていると、古き良き日本の落ち着いた佇まいを堪能できた気がいたします。その後、時間に少し余裕がありましたので、昔、比嘉正子先生の銅像作成の際立ち寄った高岡にも足をのばしました。高岡には名刹瑞龍寺があります。瑞龍寺は加賀藩二代目藩主、前田利長公の菩提を弔うために、三代藩主、利常公が建てられたお寺です。“お寺さま”というより、どこかお城を彷彿とさせるような典雅さと威厳をもった寺院です。仏殿や法堂は総檜造りで釘一つ使用せず組み立てられた入母屋造、本当に伽藍一つ一つ、柱一本一本にも歴史の重みが感じられました。少し驚いたのは、仏様のお顔でした。奈良や京都の仏像の柔らかく微笑んだような顔立ちではなく、遥かシルクロードの彼方、インドやガンダーラの彫りの深いどこか異国情緒のあるお顔に見えました。一体どうしてこのようなお顔立ちの仏様があるのか、なにやら東西交流のあった歴史の不可思議さやミステリーを感じさせる趣でしたがこの話になると長くなるので止めておきます。皆さんも一度時間をとって是非行ってご覧になってください。
さてこうして年末からお正月にかけて北陸に出かけ、のんびりとリフレッシュし、日本古来の情緒を堪能させて頂いたのですが、4日の日は文楽を観に行きました。昨年、橋下市長の補助金削減発言で話題になった国立文楽劇場での初春公演です。
文楽は大夫が三味線を伴奏に浄瑠璃を語り、一体の人形を人形遣い三人が操って物語を表現していく、太夫、三味線、人形遣いの「三業(さんぎょう)」で成り立つ三位一体の演芸です。イヤホンを借りて上演されている作品の内容、演技、舞台づくりなどの説明を聞きながら拝見していたのですが、特に生きた人間の如く操る人形遣いは、まさに芸術と呼ぶべきものだと感嘆いたしました。また橋下市長の一件で功を奏したのか劇場は大勢のお客様で大盛況、物語が進行する中で歌舞伎と同じように「よっ、竹本大夫!」と絶妙の間の手を入れる手練の見者もいらして、私のような初見の素人でもなかなか気持ちの良い時間を過ごさせていただきました。
ただし、やはり難しい。一般に人間にとってやはり難しく敷居の高いものだと感じました。文楽、人形浄瑠璃とは本来、歌舞伎同様、一般の民衆が大衆の娯楽として肩肘張らず楽しんだものです。高級な知識や素養がなくとも拍手喝采、やいのやいのと老若男女、お年寄りから子供までが楽しんだものです。
確かに文化、芸能には変えてはいけないこと、守り続けねばならないことがあると思います。「伝統」や「古典」といったものの中には伝えることがいかに難しかろうと守らねばならぬことがあると思います。しかし半面、やはり時代に合わせて人々の嗜好に合わせて変わらねばならぬこともあるのではないかとも思いました。それを観る、その時代の人たちに通じなければ、どんなに良いものであろうと“置いてきぼり”を食うのではないかと思いました。橋下市長がどんな思いで「補助金削減」を言われたかは分かりませんが、あの言葉が投げかけた波紋によって何かが動き、一般の人々が文楽というものに再度注目した、ある種、広報の役割になったようにも思えます。また文楽の側も、古典芸能というものに胡坐をかいて安住しているうちに、いつしか自分たちの芸が、限られた狭い世界、身内の世界のものだけになっていることに気づかれたのではないか、その端緒になるとよいのにとも感じました。
年末からお正月にかけて日本の素晴らしい古典文化や芸能を観てきたのですが、それらが人気のない剥製になった博物館の世界ではなく、イキイキとした暮らしの中や人々の喝采の中で生き続け大切に伝承されていくためにはどうすればよいのか、難しい課題に直面しているように感じました。
さて最後になりましたが、社会福祉法人都島友の会も無事平成25年の新年を迎えることができました。本年82年目を迎える私たち都島友の会とはどのような法人であるか、もう一度各人一人ひとり考えて頂きたいと思います。
私どもは言うまでもなく子どもたちから高齢者、そして利用者の皆様やそのご家族、さらには地域の皆様に向けて“福祉”を基点としてサービスを行っていくところです。子どもたちが心身共に健やかに育ち、高齢者の皆さん一人ひとりが(残っている)能力に合わせて自立し楽しく充実した日々が送れるように、さらには地域社会の中で、より多くの人々が日々安心し、健やかに暮らしていけるように、私たち法人が持っている力を出し、地域住民の方々を支えていく―私たち都島友の会とは、まさにこれらのことを目的とし事業を行っているのです。
私たちが現在行っている福祉サービス事業の質をさらに向上するためには、これまで以上に事業を確実に効果的に進め、都島友の会独自の経営基盤の強化を図っていかねばなりません。また利用者の皆様、地域の皆様が、何を求められているのか何を本当に必要とされているのかを真剣に見つめ考え、その中から創意工夫を重ねていくことが何よりも必要です。そして法人全体はもちろん、皆さんが今自分に与えられていることは何なのか、それがなぜ必要なのかを一人ひとり自分の置かれている立場から考え、自らの果たすべき目標やヴィジョンに向けて研修を積み勉強を怠らず、積極的に行動していくことが大切なのです。
私たちの今年の目標は、“都島友の会とは何をしているところなのか?どうあらねばならないのか?”を各人が見つめ考え、それを皆で話し合って、納得し、やがて共通の認識にいたることです。古典文化や伝統芸能と同様、私たち福祉の事業も時代を超えて大切なものは大切にしていかねばなりません。時代が移ろうとも守り抜かねばならないことは何としてでも守っていかねばなりません。しかし同じことを金科玉条、いつまでも変わることなく続けていけば、いつしか時代や人々に取り残されてしまいます。私たちがいつも時代や地域から求められる「都島友の会」であり続けるために、大切なものを守りながら変化を恐れず一歩一歩着実に進んでいきましょう!
最後になりましたが、何を行うにも皆さんの健康が第一です。皆さんが身体に気をつけて良き一年を送られることを祈念して、長くなりましたが年頭の挨拶とします。
2013.1.16