都島に根付いて90年 地域を愛して、地域に愛されてー。

社会福祉法人都島友の会は都島の地で誕生し、本年、創立90周年を迎えました。

私も理事長になって15年目。日々、諸事に追われながらも、同時に法人の行く末、社会福祉、地域福祉のあるべき姿を思い描きながら、「さて次はどうする」と考え、時に悩み、時に逡巡(しゅんじゅん)しつつ、やはり目の前にある課題に全力で取り組み、前に進むしかないと自ら奮励し今日を迎えたように思います。

世の中の流れも、グローバリズムや社会の構造変化、AI等のテクノロジーの進歩等々、年々変化のスピードは増し、直近では新型コロナウイルスによるパンデミックで世界中で多くの方が亡くなり、また多くの国で感染の抑制を目的とした渡航制限や外出制限等が実施されるなど、世界中が激変、今も予断を許さぬ状況が続いています。

日本も昨年より緊急事態宣言が繰り返し発令され、今年度より高齢者からのワクチン接種が始まりましたが、大阪府では8月20日で1回目45%2回目35%。20歳以下の接種はまだまだ回ってこない状況です(当法人は各園の嘱託医の先生方のご協力をいただき8月末日で関係者は2回目を90%終えました)。

政府は「感染拡大防止を最優先に……」としているが、何をどうするかの具体策が今一つ見えず、正直、中途半端でわかりにくい。一方、様々な指摘、批判を受けながら、1年遅れで東京オリンピック、パラリンピックを日本はどうにかこうにかやり終えました。(後にどう評価されるでしょうか?)

先のまだ見えぬこの国難、世界的危機ともいうべき状況も、医学や科学技術の進歩、人々の連帯や努力の結実により、必ずや人類は克服し、コロナ禍に打ち勝つだろうと私は信じています。そして現在苦境の中で立ちすくんでいる多くの人々も、この困難を乗り切り、再び立ち上がって元気に歩んで行かれることをお祈りするとともに、私たちに今できることがあるなら、微力ながら、最大限の支援をしていきたいと考えています。

さて、私たち法人も都島の地に根を下ろして90年。沖縄から、世の中のために働きたい、社会に貢献したいとの志と、身一つで大阪にやって来たうら若き女性、比嘉正子。幼少に受けたキリスト教的精神と恩師志賀志那人の導きで、この都島の地に、園舎もない青空保育園(幼稚園)を立ち上げ、多くの地域の方々や賛同者の力を借りて、先の大戦、大空襲、敗戦、そして愛する我が子の死と度重なる不幸を乗り越え、法人は創設者比嘉正子からつなぎつないで今日に至ったこと、その法人の歴史については、過去、法人の記念誌やホームページ、そして広報誌「ゆんたく都島」の中でも幾度も伝えてきました。まさに私たち法人の歩みは、都島と共にあり、地域の人々の力や支えがあってこそ、現在まで受け継がれてきたのだと思います。

今、ペンを走らせていると窓の外は大粒の雨音がしています。東京オリンピックが終わった後、追い打ちをかけるように日本列島西から東へ「線状降水帯」が居座り断続的な激しい雨が降り続いています。河川決壊、土石流災害、大洪水、田畑家屋浸水、濁流による災害、人的被害、大規模災害が起きている・・・。

思えば都島という地は、淀川に面し、太古の昔から大雨に洪水に悩まされた逸話が数多く残っています。洪水にみまわれ、橋が流され続ける中、河川改修、築堤工事、橋工事は明治時代から昭和40年代まで続き、水量を調節する閘門(こうもん)建設は明治29年から計画され、何年かを経て現在の毛馬閘門が出来ました。いわば自然災害との戦い、その中で苦闘し打ち勝ってきた記憶を色濃く残す土地だといえるでしょう。その大川の水路を活用し、紡績や製糸、製紙、製鉄産業の企業が集まり、それと共に中小企業、家内工場、働く労働者が集うようになりました。戦争による荒廃した時代を乗り越え、戦後になると雪印乳業、ミドリ十字、日本製紙などの会社やそれらに関わる人々が増え、さらに高度成長期を迎えると公害汚染等で大企業は移転、廃業になると、残った工場跡地は民間ディベロッパーによって大規模な街づくりへと発展し、いわば日本の大都市再開発の先鞭(せんべん)となり、医療施設、教育、文化の整った住みよい街へと変わっていきます。都島の歴史、それは日本の近代、そして現代にいたる日本の変遷、その写し鏡のようなものともいえるのかもしれません。

一方、都島は歴史文化の堆積した地域でもあります。毛馬には俳人、文人画で知られる与謝蕪村之生誕地の碑があります。大川沿いの中野町には[大阪市水道発祥之地]の碑があり、豊臣秀吉の時代、茶の湯に愛用したと伝えられている「青湾」の碑が残っています。時代をさかのぼり、後白河法皇が高野山への参詣の途中の地、善源寺村に聖母待賢門院(たいけんもんいん)の菩提寺として母恩寺を創建されました。代々皇女が住職をつとめる尼寺です。網島には近松門左衛門の浄瑠璃「心中天の網島」で有名な大長寺も残っています。さらに明治時代には網島一帯に藤田男爵邸があり、跡地には元大阪市市長公館、元太閤園があり、大阪迎賓館の役割を果たして来ましたが、今では跡地一部は公園、藤田美術館として残っている・・。都島にはこのように歴史を彩る豊かな史跡も数多く残っています。

川の橋が流されていた時代、大川沿いは梅の名所でありましたが、現在は桜並木が何㎞と続いています。春ともなれば染井吉野の桜が咲き乱れ、満開の花の終わりを飾る花吹雪は圧巻です。染井吉野桜に少し遅れて花をつける八重桜は大阪の風物詩の一つである「造幣局の通り抜け」です。夏には大川をいっぱいに埋め尽くす天神祭りの祭礼船、夜にはかがり火や電飾の船が行き交い、夜空を彩る大花火。大阪浪花のそして都島の大川の歴史の彩りとしてこれからも輝き続ける都島です。※(都島区歴史の彩り 西出達郎氏史料より)

都島の地に種を蒔き、ここで根付き、この地域と共に、この地域で暮らす人々に支えられ、共に歩んできた都島友の会。過去の度重なる苦難や危機を乗り切り、ようやく辿り着いた現在のこの美しく輝く都島の姿を私たちは心より大切にしたいと思います。そして次代の都島が今よりももっともっと魅力ある街になるように、私たち都島友の会は、子どもからお年寄り、障がいを持つ方、さまざまな方が、誰もが安心していきいきと快適に暮らせる街になることを目指し、これからも地域の皆様と共に手を携え歩んでまいります。

2021.9.11 理事長 渡久地歌子