辞令交付式にあたって

平成27年3月28日(土)

皆さんおはようございます。

平成27年度、昇格者及び人事異動者、ならびに新規採用の皆さんへ、ただいま辞令を交付しました。

今年度も多数の新しい職員を迎える事ができまして、大変うれしく思います。都島友の会を代表し、一言ご挨拶させて頂きます。

4月1日付をもって人事異動の発令をさせて頂きました職員の皆さん、私にとっては毎年のことなのですが、「ああでもない、こうでもない…」と皆さんの適材適所を考え、自分なりに考えられるだけ考えて、今回も最強の人事をいたしました。

今年度は認定こども園への移行に伴って、施設長から園長へ、主任から副園長へ、保育士から保育教諭へと職名が変わられた方が数多くおられます。また施設長に昇格された方、主任に昇格された方、法人内異動をされた皆さん、いずれの方もご自分の持っておられる力を充分に発揮し、心新たに、新しい場所、新たな職務で、責任を持ってお仕事に取り組んで下さい。決められた事だけでなく、そこに必ずプラスアルファ、知恵やアイデア、工夫をプラスして取り組んでいただけたらと思います。皆さんは充分にその能力はおもちです。また各園で新たな職員を迎える先輩の皆さん、後輩は、先輩の姿を見て育ちますので、彼らの模範となるよう、よろしくご指導のほどをお願いいたします。

今年度は、国の「子ども・子育て支援新制度」による「幼保連携型認定こども園」がスタートする大きな節目の年です。当法人でも、都島児童センター、都島友渕保育園、成育保育園が、それぞれ認定こども園都島児童センター、友渕児童センター、成育児童センターとして新たな出発をすることになりました。新制度に変わったと言っても、私たち法人の各園は、子どもたち一人ひとりの成長をしっかりと見つめて、丁寧で質の高い保育や教育を行う、そして地域の保育支援や子育て支援に尽力していく、その姿勢、その原則は何ら変わるところはありません。国の制度、方針よりもむしろ早く、私たちは常に一歩進んだ教育・保育を行ってきたとの、大いなる自負と気概をもって職務に取り組んでまいりましょう、私たち法人はそれに足るだけの実績と歴史を有しているのですから―。

但し、今回の新制度がこれからの日本の福祉、教育にかかわる大きな改革であることには間違いありません。日本の教育のこと、幼児教育の大切さ、これからの福祉、そしてその中での私たちのあり方について、詳しくは各園へ寄せて頂き、先生方とじっくり話し合う時間を持ちたいと思います。

さて、ここでは、ひとまず誰もがすぐにできること、しなければならないことを、一つだけお話したいと思います。どんなに制度が変わろうと私達の職場はお人に関わる仕事です。人との関係は何から始まりますか? 挨拶です。ご挨拶から始まります。皆さん、きちんと挨拶のできない人をどう思われますか? 最初に出会った時、仕事の始まる時、その人、その時の印象や空気はとても大切です。明るく、若々しい、ハキハキとした誠実な挨拶を受ければ、とても心地よい、気持ちの良い空気になりますよね。まずは自らの挨拶をきちんとできるようになることから始めましょう。しっかり、目を見て元気に挨拶です。その日の大きな力になります。

さらに、都島友の会の職員としての身だしなみ、姿勢にも自覚的でありましょう。自らの身だしなみや姿勢が人を不快にしてはいないか・・・。いつも相手の立場を尊重し理解し、誠実に接しているか・・・。学ぶ、気づく、目標を描く、実践する、その一つ一つを丁寧に、限られた時間を意識して、その中で最大限の成果をあげられるようめざして下さい。

この続きは、各園に寄せて頂いた際にお話したいと思います。それまでに職員としての心得は、園長先生を中心に話し合い学び合っておいてください。そしてご自分の役割をしっかり受け止めましょう。

さて話が変わりますが、今年はわが国、日本国にとりましてもとても大きな節目を迎えます。それは戦後70年、太平洋戦争終結、終戦から70年目の記念の年ということで、国内のメディアのみならず、世界からも大変注目をされています。

皆さんにはちょっと想像がつかないと思いますが、日本には一昔前、大変不幸な事がありました。今日も世界では、シリアやイラク、イラン、イスラム国、パレスチナ、そしてイスラエル、さらにはロシアとウクライナ、国同士、人間同士が、宗教の違い、思想の違い、領土の取り合いで戦争を行っています。そこではいつも真っ先に大きな犠牲となるのが、女性や子ども達、年老いた人や障がいを持つ者、力のない弱い人々です。

現在世界で起こっている大きな動乱、戦禍、それ以上のものを日本は経験しました。大戦争を戦い、最後は日本中に大空襲があり、広島、長崎には原爆が投下されました。そして大勢の人々、日本人だけで300万人以上の人が亡くなり、また多くのものを失いました。

ここ、都島においても、昭和20年6月、大空襲で、辺り一面焼け野原になりました。その時の写真はこの児童センター本部の1階から2階の階段に展示してあります。まだ見ておられない方はもちろん、ご覧になられた方も今一度、見直してみてください。大空襲のあった2か月後、昭和20年8月に日本は敗れ戦争は終わりました。

その時私は1歳でしたから全然記憶はありませんが、その後大人からさまざまな話を聞いたり、10歳の頃、「ひろしま」「ながさき」といった映画を観て、原爆の悲惨さ惨たらしさを刻み込まれたり、あるいは新聞やテレビ、本などで見聞きし、それなりに知識はあるものの、なぜ戦争が起きたのか、あの戦争とはいったい何だったのか、今も私の中で確たるものはなく、答えのない大きな疑問としていつまでも心に漂い燻り残り続けています。終戦70年を振り返り、なぜ戦争をしたのか?いったいどういう事が起きたのか? 私より若い人達はもっともっと知らないと思います。私たちが今ここに立っている、このように生きている、そしてこのような職務に就いている、そのことを振り返り、今再び、私たちの拠って立つ場所を確かめる上でも、戦後70年の歴史をしっかりと学び、そして見つめ直しましょう。

私たちの行っている社会福祉事業、日本の社会福祉のきっかけとなるのも、終戦の後、海外から帰ってこられた復員軍人や引揚者の方々、戦争で障がいをもたれた方、遺族の方々、衣食住もなく職もない生活困窮者の人達、あの大戦によるそれら多くの戦争被害者の生命や暮らし、尊厳を守り救うためにはじまったと言っても過言ではないのです。

戦争が終わり新しい憲法ができ、憲法25条には「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。国はすべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と国民の権利と国の義務を明記されても、国土が焦土となっての出発です、なかなか理想どおりにはいきません。しかも戦争による犠牲者の人々は、衣・食・住が全てを失っての出発ですから、すぐさま手を差し延べないと命の問題になります。日本の戦後70年の歩みはそんなところから始まりました。その日本の国の歩みと、私ども都島友の会の歩みを重ねてみましょう。

私たち法人は昭和6年の都島幼稚園から始まりますが、昭和20年3月に閉鎖命令を受け一度は閉じ、園舎もその3か月後、昭和20年6月の大空襲で焼けてしまいました。焼野原になり、行き場が無くなった子ども達。その子ども達を救う法律はまだない、もちろん財源もない。親達も子どもを預けないと働けない。法律がなくても誰かが手を差し延べなければ、子ども達の命が危ない。ここに手を差し延べたのが、比嘉正子先生です。このままだと日本という国が無くなると強く思われたそうです。先生は、戦争のさなかの昭和19年1月、2月と相次いで2人のお子さんを亡くされました。その2人のお子さんのお墓を建てる為、大事にされていたお金をもとに焼野原に園舎を建てて、子ども達を受け入れました。現在の児童センターの正面玄関にあたるところです。園舎を建てるにも材木も何もなく、資材もほしいとなると、モノ不足とインフレでどんどん価格が高くなり、それでもなんとか出来たのは戦前の卒園生や保護者の方々、地域の皆さんが子どもたちを救うため、一緒に手伝って下さったからです。

今も地域の、現在では70才以上になられる方々から、「都島児童館があったから、私は救われたで…冬は掘りごたつもあったナァ、本もあったナァ、おやつもあった、勉強もできた、ソロバンも、絵も、習字も習えたナァ…」「お腹がすいて、すいて、困ったけれど、児童館へ行ったら味噌汁があって、イモが入ってたり、お麩が入っていたり、大根だったり、たいしたものは入っていなかったと思うが美味しかったナ…」と懐かしそうに話されます。

世の中は、復員軍人、引揚者の方々や遺族、生活困窮者を救う為の生活保護法、戦争で親や親族を失った戦争孤児の為の児童福祉法、さらに、戦争によって障害者になられた方々の為に障害福祉法が作られました。これが、皆さんが学校で学ばれた最初の社会福祉3法です。それから福祉6法体制ができ、今では福祉8法になっています。ただどんなに法律ができようと法整備が進もうと、必ず法律ができるまでの隙間というか、制度の中には狭間ができ、その間の落とし子ができてしまいます。人間が「おぎゃー」と生まれ、育ち、ついのすみ家で人生をまっとうするまで、様々な社会保障や福祉制度によって守られてきますが、完璧なものなどはありません。どんな良い制度ができても、制度の狭間、社会の片隅で、さまざまな問題を抱え、悩み、苦しむ人々がいます。あるいは社会の変化によって新たな問題、新たな苦しみをかかえる人々も生まれてきます。現在でもまさにそうです。私たちはそのことにもっともっと敏感で自覚的でありましょう。

私ども法人ではその解決のほんの一助にでもなれたらと、比嘉正子先生が残して下さった比嘉正子記念会館において、地域貢献や地域の方々の学び合い、研修ができるように「ひまわりネット」を立ち上げ、人々の「心の居場所づくり」をしております。

福祉の原点は今も昔も変わらないですネ。子どもも大人も一人でも多くの人が自立でき、健やかに生きていけるように、私たちは視野を広げ、もう少し物事を深く考え、先ほど申し上げたように人の立場を尊重し理解し、そこから陰に隠れて見えない人々に対しても手を差し延べていきましょう。

話が大変長くなりましたが、辞令交付式にあたり、日本の戦後70年と都島友の会の70年の振り返りをお話しさせて頂きました。この続きは各園へ寄せて頂きお話をさせていただきたいと思います。長時間、ありがとうございました。

2015.4.10