戦後70年。節目の年に―。

「子ども・子育て新制度」がスタートして、約半年が経とうとしています。一歩踏み出したかのように思いましたが、少々混乱しているようです。今までの保育園・幼稚園が残ったまま、そこに認定こども園が新たにつくられ、三様の施設ができてしまいました。法律的にも保育園の子どもは児童、幼稚園は幼児、幼保連携型認定こども園では園児と、子どもの名称が三つもあることになります。新制度への移行は大人同士の綱引きというか、いろいろ大変な作業でありました。煩雑なことも多く、申請書など膨大な書類の山、そのような中、都島友の会は新制度の幼保連携型認定こども園(3園)と保育所型保育(大阪5園・沖縄2園)の2本柱で出発しました。保護者の皆様には3月から4月にかけて、法人の成り立ち、新制度への移行についてご説明させて頂き、事務的な手続等にもご協力賜りました。

もちろん制度変更があろうと子どもたちは今迄と何ら変わることなく、みんなよく遊びよく学び、子ども同士いたわり合い、譲り合い、時にはそれぞれ我も張ってと、本当に邪気のない、心なごむ有り様は以前と同じです。知・徳・体、皆さん本当にバランスよく成長されていると思います。

変化があると言えば、こちらの側でしょうか。午前、午後の過ごし方にも変化があり、職員間の話し合いも多くなり、幼児教育と保育、養護、法人の理念・基本指針・教育・保育目標等の確認や振り返りなど、様々な事をしっかり共有できるようになりました。また私たちの働くこの場所は、子どもたちの生涯に渡る大切な人格形成の基礎を培っていく場である事を再認識し、そのことから法人の宝というべき数多くの資料を改めてまとめ直す良い機会ともなりました。

0才児保育から始まり、そこから小・中学校へいたる長い橋渡しともいうべき保育・幼児教育のまとめ、リスクマネージメントや危機管理、管理職としての事業計画、職員の手引き(心得、研修について、実践、報告、まとめ)などなど、多種多様な分野の法人の大切な資料や知恵を、いま各園、各職員たちが、分かりやすく今後の世代にも引き継げるようにと、編纂し新たに作り直す作業に勤しんでいます。

さて振り返りといえば、今年は戦後70年の年でした。安倍首相の戦後70年談話をはじめ、日本の戦後を振り返る数多くのメディアの特集、論説がありました。戦後といえば、私ども都島友の会の創設者、比嘉正子には社会福祉や幼児教育の担い手のみならず、その後半生には多くの人々にその姿を知らしめたもう一つの大きな活動があります。

比嘉正子は沖縄で生まれ首里パプテスト教会で洗礼を受け、17才で大阪パプテスト女子神学校(現在 淀川区のミード社会館)に留学、卒業後、大正12年大阪市立北市民館の保母となり、昭和6年には都島幼稚園を設立しました。以降、幼児保育を中心とする社会福祉事業に邁進し、戦後は日本で初めての乳幼児保育を始めるなど、まさに戦前、戦中、戦後を社会福祉や幼児教育に一身を捧げ、波乱万丈の生涯を駆け抜けてきたのです。

一方、終戦後、戦争中の疎開地であった大阪鴻池新田(現在の東大阪市)で子どもたちの空腹や飢え、社会の混乱に立ち上がるべく、地元の主婦たちとともに「米よこせ」の陳情を始めます。日本の戦後史に残る「主婦の会」、後の「関西主婦連合会」の誕生です。そして戦後の時代を、消費者運動、婦人運動、女性解放、女性教育へと活動の場を広げ、政府の各分野の諮問委員も数多くつとめ、晩年は行政改革に力を注ぎました。社会運動家としての比嘉正子の姿です。

社会福祉から児童教育、消費者・婦人運動・・・、比嘉正子の幾多の顔に人々は戸惑うかもしれません。またその旺盛なバイタリティの源はいったい何だと呆れる人もいるやもしれません。沖縄、パプテスト女子神学校、大阪市北市民館などでの出会いやそこで培われた思想や信念、さまざまに答えはあるでしょうが、昭和20年8月の終戦、焼け野原の中でお腹をすかし、さ迷う子どもたちを何とかしようと、まだ憲法も児童福祉法もない混乱の只中にあって、今、手を差し延べなかったらこの子たちは死ぬ、病気になる、教育が受けられない、目の前にある差し迫った現実を何とかしようと、法人の戦後の原点である「都島児童館」を設立、已むに已まれぬ使命感で飛び込んでいくその力こそが、比嘉正子のあらゆる活動の原動力、源だったと私は思います。

「都島児童館」、そこは、そこに行けば何か食べられる、習字、そろばん、絵、ピアノ、何でも習える、勉強も教えてくれる、まさに子どもたちの集える場所でした。幼児クラブ(短時間)・保育クラブ(長時間)・学童クラブ(放課後クラブ)・教育クラブ(習字・そろばん・絵・ピアノ等お稽古)、そして母の会、女性教育部等があり、子どもも大人もそこでさまざまな活動や経験を通して、数多くの事柄を学んで巣立っていきました。

花にはお日様 子どもに平和

強い子 良い子 三つ子の魂百まで

目を離すな 手を貸すな

温故知新

当時から変わらぬ法人の子育てのスローガンです。

法人の基本理念
社会福祉法人都島友の会は、多様な福祉サービスを総合的に提供できるよう創意工夫し、利用者の個人の尊厳を保持しながら、子どもたちの心身ともに健やかな育成と、個人が持っている能力に応じ、自立した日常生活を地域社会において営むことができるよう支援することを基本理念とする。

戦後、私たちの法人から子どもたちは大きくたくましく育っていきました。子どもたちはやがて成人となり、戦後の日本の社会を担っていきました。

私どもが日本の社会福祉・教育の一大改革である今回の新制度に迷わず手を上げたのは、私たちの原点「都島児童館」が現在の「子ども、子育て新制度」のまさに先駆けであり、この制度が私たちの原点へ回帰する一大契機だと再認識したからです。法人の各施設がこれからもいっそう地域ために貢献できるよう、地域の皆様に利用しやすく子どもを安心して預けられる施設となれるよう、そして何より子どもたち自身が心から楽しく、自ら自身がすこやかに成長できる子どもの楽園であり続けることを願っています。またそのために職員一同、なおいっそう精励する覚悟です。

さてこの夏、私どもの運営する『比嘉正子地域貢献事業研修センター(ひまわりネット)』の5階に、上述した比嘉正子の婦人運動・消費者運動の歴史資料をまとめた「比嘉正子記念室~戦後の礎を築き~」を開設しました。日本の消費者運動、婦人運動の歴史の一端をご覧いただけると思います。また私たち法人の歩みや社会福祉関係は都島児童センター本部2階に、資料室を設置しております。興味のある方は是非お気軽にお立寄り下さい。

※比嘉正子地域貢献事業研修センター(ひまわりネット)は、創立者比嘉正子の意志を引き継ぎ、近年社会問題化している、貧困の連鎖で教育の機会が奪われる「子どもの貧困問題」等をはじめ、子どもたちの生命や育ちを守り支援していくプラットホームとなろうと開設運営しています。理屈だけでなく行動あるのみで、ささやかでも前進するのが我々の役目と思っております。どうか子育て、介護などで悩んだら、迷わずお気軽にご相談ください。

◆比嘉正子地域貢献事業研修センター 大阪市都島区都島本通3-16-8

(認定こども園 成育児童センターの子どもたちと共に)

ゆんたく都島 Vol.23(2015.9)