都島東保育園と都島こども園、 その受け継がれていく精神と明日へのカタチ

(都島こども園=こども発達サポートステーション それいゆ)

ここしばらく私は、「ゆんたく都島」で都島友の会の歴史について書いてきました。前々号では「都島児童館」について、前号では法人の「乳児保育」の歩みやその施設の成り立ちについて書きました。

私が各園、各施設の歩みを書き記そうと思い立った理由、それは、昨年法人が85周年を迎え、これから法人が90周年へと向かおうとする中で、これまで法人を支えてくださった多くの諸先輩方も少なくなっていく現在にあって、微力ながらも時代に生き証人として、各園、各施設の歴史や成り立ちを書き記し、今後法人を担い、将来の法人を支えてくださる若い人々に向けて、語り継がねばならない大切な法人の原点を、語り部となって伝えたいとの思いがあるからです。

さて今回は、都島東保育園と都島こども園(こども発達サポートステーションそれいゆ)の歩みについてふれたいと思います。この両園は法人の他の施設とは些か異なった成り立ちで出発しています。

今から半世紀ほど前、1970年頃から大阪市は待機児対策や女性就労支援等で、保育施設拡大として行政(公立)が建物を建て、経営や運営は民間に委託していく公設民営という施策を行ってきました。

大阪市の公設民営の発想理念は、
第一 民間で働く有能な人材をいかに活用し主任保育士を管理職へと起用する。
第二 公立・民間保育園の長所を取り入れ、地域社会へ貢献する施設作りをする。
第三 民間の持つ柔軟性や効率化を活かして保育サービスの充実を図る。
第四 民営化によって生み出される市の財源、又、待機児解消など子育て支援の取組をする。
―とのことだったように思います。

  • 昭和45年 第一号が東淀川区に「上新庄保育所」
  • 昭和46年 港区に 「池島保育所」
  • 昭和46年 住吉区に「遠里小野保育所」
  • 昭和46年 淀川区に「東淀川保育所」
  • 昭和47年 大淀区に「中津保育所」
  • 昭和49年 港区に「築港保育所」
  • 昭和49年 生野区に「巽保育所」
  • 昭和51年 生野区に「林寺保育所」
  • 昭和51年 西成区に「玉出西保育所」
  • 昭和52年 東淀川区に「菅原保育所」
  • 昭和53年 都島区に「大東保育所」
  • 昭和53年 平野区に「加美長沢保育所」
  • 昭和53年 生野区に「小路保育所」
  • 昭和54年 平野区に「長吉六反保育所」

計14の保育所が、昭和45年に設置された財団法人大阪保育事業団(後の社会福祉法人なみはや福祉会)に委託されています。現在では公立保育所の移管も含め36か園にまでなっています。その内、昭和46年の池島保育所、昭和47年の中津保育所は当法人の主任保母を勤めた西平久子先生、中村清子先生が経営者兼園長として抜擢され、両先生は90歳まで現役をまっとうされました。

このような時代背景の中で、昭和47年(1972)、都島児童センターの建替えが行われ、都島児童センターは地域的に西都島地域(都島小学校校区内)であった事から、東都島地域(東都島小学校校区内)からも保育園をもう一カ園増やしてほしいとの強い要望がありました。

ちょうどその頃、大阪市水道局の公舎跡地に、大阪市が老人憩いの家を併設した保育所設置の計画が進んでおりました。一方、都島区の北側、毛馬地区では、大阪市の障がい児通園施設計画がありましたが、住民の反対運動にあい、中断しておりました。そこで初代理事長比嘉正子は大阪市に、「東都島地域に予定している保育所は通園施設を含め、私が運営してみます!」と提案します。市も公設、民営化を進めていた時期であり、都島友の会は既に保育事業歴45年の実績をもつ法人でしたから、委託が決定され、昭和51年6月1日、大阪市からの委託として都島東保育が開園、翌月には障がい児通園施設「都島こども園」が開園することになりました。

都島東保育園は開園当初、定員は60名でしたが、都島区のみならず近隣の城東区、旭区からも入所申込があり、9月には90名、翌年4月には120名と、定員数もどんどん増えていきました。また保育ニーズも多様化し、平成元年には延長保育、0歳児保育が始まり、そのため2階保育室を大改装し、その後も乳児の定員増による建物の改修等を行いました。公設の建物であっても建物の修繕、固定資産、備品購入は、当法人が行っていきました。

都島東保育園は法人の他園と同様、青空保育以来の伝統を引き継ぎ、(樹木、草花、砂、水、生き物)を取り入れた環境作り、地域との関わり(園庭開放、地域子育教室、東都島子育サロン、福祉ふれあいフェスタ、都島区民まつり、都島こどもカーニバル等)を大切にしていますが、特筆すべきは設立以来の伝統的な研究・研修への取り組みです。平成2年に第33回全国私立保育園連盟研究大会で〈子どもの思いやりを育てる〉を発表。同じ年には〈子ども、保護者、保育共に豊かなふれあいを求めて〉の研究を発表するなど、積極的に研究・研修の輪を広げています。平成28年には、平成4年度から20年以上にわたって続けている園独自の名物運動「壁のぼり」を実践報告にしてまとめ、日本保育協会から、”0歳児から5歳児までの発達段階に合わせた運動は、近年注目されている『非認知能力』にも寄与している“との高い評価で第11回実践奨励賞を受賞するなど、東保育園の伝統は今もなお健在です。

他方、都島東保育園の開園に1カ月遅れで、同年7月に同敷地内に障がい児通園施設「都島こども園」が開園しました。

障がい児通園施設とは発達につまずきのある2歳から就学前までの児童に対し、人とのかかわりの中で情緒の安定を図り、子どもたちの心身の発達を支援し、ご家族への相談と援助を行っている施設のことです。平成24年からは通園事業のほかに、相談支援事業や保育所等訪問支援事業、放課後児童デイも始めるなど次々と新しい事業にも取り組み、平成27年には園名を「こども発達サポートステーションそれいゆ」に変更、新たなスタートを切りました。

「こども発達サポートステーションそれいゆ」の特色は「都島こども園」発足から40年以上にわたって大切に培ってきた療育の力、個別療育や個人懇談、「インリアルアプローチ」「ボーテージ早期教育プログラム」といった様々な療法とそのノウハウです。一人ひとりを大切にし、療育の環境を整え、保護者の方との緊密な連携をとる…。今後も地域の児童発達支援の拠点として、園を飛び出し、積極的に地域に出向き、地域にいるすべての子どもたちが、個々のより適した環境の中で安心して過ごすことのできる支援、活動に取り組んでいきます。

さて”保育園と通園施設を同じ敷地で運営してみせる“と大阪市に啖呵を切って見せた比嘉正子の目論見。当初は手探り状態、なかなか難しい問題もあったようです。しかし開園から5年間、両園が積極的に交流に取り組み、試行錯誤の中、互いの保育室を行き来し、園庭を共有し、時や空間を共にする中で、子どもたちは互いの成長を自然に育んでいくようになりました。また併設されていた東都島老人憩いの家の利用者や地域の方々、平成13年には隣接して当法人の特別養護老人ホームひまわりの郷も開設され、いつしか東都島地域の中に、地域住民や世代間、障がいをもつ人もたない人の垣根を越えて、さまざまな人々の交流が生まれ、地域福祉のあるべき姿を予見させるような”あるカタチ“が少しずつ生まれてきたように思います。

こうして40年の歳月が流れました。その間、保護者の皆様、地域の皆様のご支援ご信頼を頂きながら両園とも運営を行ってまいりましたが、平成28年3月末、私どもは大阪市より公設の建物を買取り、委託から移管(完全民営化)へと形を整えることが出来ました。しかし40年の月日の中で、建物、設備の老朽化が激しく、空調設備、給食室の改善、トイレ、保育床、子どもロッカー、全室の照明器具、上下水管、電気、ガス器具、雨漏れの大補修などなど、一つ一つ追っかけながら補修、改善を行ってきましたが、それらによる弊害も多く、もはやその限界も見えてきております。

こうしたことを踏まえ、現在私どもは、都島東保育園、こども発達サポートステーションそれいゆの施設設備を一新し、隣接する特別養護老人ホームひまわりの郷と併せて、将来の地域福祉の活動拠点となれるようなヴィジョンのある整備計画を押し進めています。

地域は人々が暮らす場であり、子育てや青少年の育成、防災や防犯、高齢者や障がい者の支援、健康づくり、そして人々の社会貢献や自己実現など、様々な活動の基本となる場です。年齢を重ねても障がいをもっても、誰もが住み慣れた地域の中で、自分らしい生き方を全うできる…。そのようなあるべき地域のカタチ、地域福祉への理想に向けて、地域における「新たな支え合い」(共助)の拠点づくりを目指して、私たちはさらなる努力を傾けてまいります。どうかご支援、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

写真上 都島東保育園の子どもたちと一緒に
写真下 こども発達サポートステーションそれいゆの子どもたちと一緒に

ゆんたく都島 Vol.27(2017.8)