都島友の会 創設者 比嘉正子ーその生涯を言行録とその背景から探るー
「第一部」 その人の人生は出会う恩師によってきまる
キリスト教伝道師に道から社会事業の道へ
1926年4月 | 日本におけるセツルメント第1号として有名な大阪市立北市民館 保育組合の保母となり、当時の北市民館長 志賀志那人先生と出会う。 |
1927年 秋 | 結婚 保育組合退職 |
1929年 | 大阪市東淀川区菅原幼稚園の主任保母 |

右端が比嘉正子
私は裸になって飛び込もうと決心した。
大阪市立北市民館館長 志賀志那人先生との出会い
「情熱に駆られて社会事業に第一歩を踏み出した職場は、大阪市立北市民館。・・・大正末期、昭和の初めのそこは、ひどいスラムの真っただ中であった。・・・」
「保育組合の保母となったが、しかし当時は、昼食の弁当をもってこない子供たちがかなりいた。学生時代に習った保育理念を実践しようとする以前に、子どもたちを取り巻く生活環境の改善に、心を砕かねばならなかった。」
「神学校でつちかわれた私のヒューマニズムの上に、つねに貧しいもの、弱い者、権力のないもの、庶民の側に立つ立場を、確立した時期でもある。」
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